道祖神
陰陽の考え方
光のあたる部分と陰になる部分
2つを俯瞰的な目で見たとき初めて本質が見える
2極があることによって
陽から陰へ、陰から陽へ
流れる力が生まれる
木曽福島のユースホステルで見つけた
男女の神が手をつなぎあう、道祖神の話。
異なる者が手をつなぎあうことによって
邪が入ってくるのを防ぐことができる。
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陰陽の考え方
光のあたる部分と陰になる部分
2つを俯瞰的な目で見たとき初めて本質が見える
2極があることによって
陽から陰へ、陰から陽へ
流れる力が生まれる
木曽福島のユースホステルで見つけた
男女の神が手をつなぎあう、道祖神の話。
異なる者が手をつなぎあうことによって
邪が入ってくるのを防ぐことができる。
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体験談を書いてと頼まれ、書きましたが、2005年10月出版予定の本はいつになったら出版されるのでしょうか?ね。
「昨年の5月くらいから1ヶ月に1回、また行けるときは3~4回のペースでヒーリングダンスに参加するようになりました。きっかけは父が脳梗塞で倒れたことによります。介護による精神的・肉体的疲労感もさることながら、自分の将来を思い描いた時、このまま、訳の分からない今の社会で、お金を稼ぐために「仕事」をし、適当に結婚して適当に年老いていく自分の姿の最終結果を、父の姿に重ねたからです。「こんな風にはなりたくない」と強く思いました。大学卒業前は心も身体も自由に動いていた気がしますが、その頃は全てにおいて「やらなければならないこと」を優先して合理的にしか動いていないことに気づきました。身体には合理的に動かすこと以外に多くの感情や表現方法を持っていると思います。そこで、とりあえず以前から好きだった踊りを始めようと、体験レッスンに出てみました。ベリーダンスのレッスンです。はだしで踊るのが好きなのでそれを選びました。帰りが一緒になった子に「踊りが好きならヒーリングダンスを試してみなよ。5~6時間踊って2000円から4000円だよ!」と言われ、踊り狂いたかった私はお得感を感じ、参加してみることにしました。ステップやリズムを先生の教えるとおりに踊るのではなく、自分の踊りたいように踊れる、というのも魅力の一つでした。
最初に参加したのはワークショップ・ランドのやっているワークショップでした。驚きました。泣く人、笑う人、叫ぶ人、歌う人、ひたすら回転する人。恐ろしくなってなるべく影響を受けないように、自分の内面だけをひたすら見つめてひっそり踊っていました。ヘンテコリンな集団、とこっそり思いながらもこれだけの時間を自由に踊れることはなかなかありません。また、踊った後は気持ちのよい疲労感があり、やはり踊りは楽しいのです。そんなこんなで先生が東京にいらっしゃる時は月に1度は出るようにしていました。就職して以降、身体に蓄積された身体中のコリをほぐそうと、それらに集中して踊っていました。
何ヶ月か後に、「ヒーリングダンスは続けて何日間かやるとよい」という言葉を聞いて、3日間ほど続けて出るようになりました。その頃から、「こっちの踊りをすると気持ちいいけれど、こちらの動きをするとどうも気持ち悪い」というような感覚が生まれ始めました。それと同時に、実生活でも何か選択しなければならない時に、「あ、こっちがいい」となんとなく選べるようになってきたように感じます。したいこととしたくないことが分かるようになってきたのだと思います。以前はやるべきこと優先、他人が自分に求めているだろうと思えることが優先で、何がやりたいかやりたくないかはあまり考えていなかったように思います。それにより、自分の考えもなくなり、何を表現したいのかも分からなくなっって、感情や感性、表現能力というものがどこか奥のほうで封印されてしまっていたような気がします。
また、同じ頃からか、ヒーリングダンスの場が、とても貴重な場に思えてくるようになりました。老若男女問わず、普段なら知り合いにならないであろうタイプの人々が集まって、てんでバラバラに自分の好き勝手に踊っていながら、同じ場を共有しているのです。そんなことは実生活にそうそうあるものではありません。誰かが自分勝手な行動をすれば、そうしていない人たちがイライラしているのではないでしょうか。しかしここでは、各々が好き勝手に行動しながらも、「場を共有する」ということで、好き勝手にしている他人をも受け入れているように思えました。自分も好き勝手に踊っていて、誰もそんなことを気にしないで自分勝手にやっている、ということが、とてもうれしく感じられます。そうなると、今まで恐ろしかった笑い声や泣き声、叫び声、歌声、走り回る人、飛び跳ねる人々が、なんだかとても愛おしく感じられてきました。「あ~、やってるやってる。私もやるぞ~」という感じで彼らより激しくバッタンバッタン踊っています。他の人からエネルギーをもらっている感覚です。今では人が多い方が活気があって充実するように思えます。ぶつかるのでさえ、応援してくれているかのようでうれしくなります。
以前は人からどう見られているかを強く意識すると同時に「自分は特別」という思いがコンプレックスであれ優越感であれあったのかもしれません。それが踊っていくうちにどんどん溶けて周囲と一緒に感じられるようになったのだと思います。また、踊りが上手い、上手くない、エネルギーが高い、高くない、ということは全くどうでもいいことで、どれだけ楽しんでいるかどうかが、実は一番大切なのだと思いました。
都会の中で、果てはテレビ等を通して地域にまで”洗礼された”人々が多くなり、服装や価値観も似たような人が多くなってきたように感じていましたが、実は皆、多様な個性をちゃんともっていることに気づきました。一見”洗礼”されているように見えるかっこいい人たちも、ちょっと見方を変えればとてもヘンテコリンな人たちで、そして私は、実はそういうヘンテコリンな人たちがとっても好きなことを思い出しました。かくいう私もたいそうなヘンテコリンのうちの一人なのです。そんなヘンテコリンな人たちが、それぞれの個性をどんどん成長させながら好き勝手にやっていける、そしてやっていっても誰も困らない社会、皆が本来持っている個性を出しきれる多様性の在る社会、そんな社会になっていったらいいなあ、と思います。花は花として生きて、他の花になろうとなんてしません。自分を生きているだけで、そこに蜂が集まり、蜂は花の蜜を吸って花の恩恵を授かります。人間も自分としての本質を生きるだけで、実は多くの人の為になっていたり、色々なところに影響を与えているのだと思います。踊りの輪が拡がっていけば、そんな社会も夢ではないかもしれません。
また、以前は「幸せになりたい、自分のやるべきことを見つけたい」という欲求がありました。ふと気がつくと、その欲求がどこかへ消えています。もうすでに、実は達成しているのではないか、また、はじめから達成していたのではないか、という気にもなっています。色々な実生活での問題は多分抱えているのですが、でも実はそれらは特に問題ではなく、いつかどうにかなるだろう、またどうにかすればどうにかなるだろう、という感覚に変わっています。問題はとりあえず事実として認めながらも、今の生活に満足している状態です。
この1年間を振り返ると、ここ8年間にあった出会いの何倍もの充実した出会いがありました。出会いにより、封印されていたものが解き放たれた瞬間を感じたこともありました。これも踊りが引き寄せたのでしょうか?自分を見つめる、本当の自分を生きる、という大切さを、先生をはじめ一緒に踊っている方々に気づかせてもらいました。感謝しています。今後も一緒に踊っていけたらと思います。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。」
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「世界が苦しむ本当に困難な時代が来たとき、その名を呼べばピースメーカーが樹皮に包まれて再来するといわれている。」
ピースメーカーが再来するのが重要なのだと思っていたが「人々が呼ぶ」こと、すなわち人々がピースメーカーを真の意味で求めることが実は重要なのではないかと思った。
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