百姓仕事で世界は変わる―持続可能な農業とコモンズ再生
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「人は人生に出会うべき人とは必ず出会える しかも一瞬も早くなく遅くなく」
http://plaza.rakuten.co.jp/taopot/profile/
以前一度お会いしたことのある方のHPをたまたま覗いた時に、その方の好きな言葉として書かれてありました。人だけでなく、その場所、出来事、すべてにあてはまるような、またあてはめてしまうような気がしてなりません。
自分を囲む環境も、自分にふさわしいものであると思う。自分に応じたものが引き寄せられる、もしくはつくられていくような気がする。家族や恋人や友人、職場や自分の部屋や近所などは、その時の自分に最適な様相で、不満がある場合は、実は自分自身に対して不満がある場合が多い。それらに自分を投影して不満がるというよりは、自分が見えていないため、自分にふさわしい相手や環境をあたかもそれらが悪いからと自分を正当化しているようだ。または、自分を表現していないせいかもしれない。その場、その人に合わせて、本当の自分をさらけ出していないため、まちがったものを引き寄せてしまっている。
ミヒャエル・エンデ著「モモ」には次のようなことが書かれていたと記憶している。
「世の中の悪はみんな小さなうそから始まっている。みんなたいしたことではないと、時間をかけずに適当に話す無意識のうそだ。」
自分の本当の思いを話し、本当に思っていないことは話さず、思いを行動に移し現実化させる人は自分の思うような人生を歩んでいくことが出来ると思う。逆に、思っていないことを、その場の雰囲気でとか、話を合わせる為とか、人によく思われたいからとか、あまり考えずに話すと、言霊は混乱する。以前言った言葉と今言った言葉は矛盾するので、結局言霊が力を持たず、思いは実現しない。
「本来の自分を生きることで、今の世の中は変えられる」と言ったのは、平山惠さん。
「積極的に生きる人が多くなれば世界はもっと良くなる」とは、操体法の先生。
部屋は自分の分身。気持ちが混乱しているときは部屋の掃除をするといいらしい。
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ここ最近、手ぬぐいを使う機会が多くなった。首に巻いてタオルの代わり、頭に巻いて帽子の代わり、名前の通り手拭に、先日は蚋(ブヨ)に刺されてひどく膨れ上がったので、ジャガイモと小麦粉を混ぜてシップをつくってもらい、塗った上に手ぬぐいをかぶせ、古くなった手ぬぐいを裂いて包帯代わりにした。裂かれた手ぬぐいも非常に愛着があるものだから、三つ編みにして紐として使おうか・・・。
そう考えると、浴衣や着物もすごい。生地を無駄なく使い、さらに再利用する時にも便利である。物を大切にする文化と美意識の融合だと思う。(おなかに帯を巻くことで、冷えないようにしているとも思える。さらに紐を複数使うことや帯の幅が広いことは、ベルトや紐一本のように一部分に締め付けが集中しづらいので内臓の働きを妨げない)
今週末、友人が野菜を出店するというので便乗して、手ぬぐいを出そうと思う。先日頂いた枇杷の絞り染めをする。ウコンとコーヒーも試してみた。枇杷の葉は汚れをとって細かく切る。びわの葉っておもしろい。煎じたときはそうでもないのに、火からおろしてそのままおいておくと、いつのまにか液が紅くなっている。
紅い液に布を入れると、にじんでくる。
出来上がりは薄紅色とでもいうのか、とてもきれい。きれいな色がおちてしまいそうで水にあげて洗うのが怖かったが、しっかり染み付いている。みょうばんをためしに入れたら、とたんに色が変わる。さわやかなオレンジとでもいうのか。
アクが強いものの方が良く染まるのだろうか。枇杷もウコンも、白いアクのようなものが煎じている時にたくさん出てきた。
一度染色した液が残っていたのでまた漬けてみた。同じくらいの液の濃さに見えるのだが、始めの布に生命をすべて渡してしまったのか。一度目のようなあでやかな色は出ない。
ウコンは鮮やかな黄色!
綿糸の足りない分はアクリルの毛糸で絞ったのだが、アクリルは蛍光の黄色に染まる。
銀座のコンクリート地面で育った私は小さい頃、自然の色は、空と海の青、太陽の赤、植物の緑、土の茶色だけだと思っていた。月明かりが明るいことも知らなかった。
初めて朝焼けを見たとき、夜の漆黒から透明な青、順番は覚えていないけれど黄がかかった緑、薄桃色、輝く黄金、あっという間に変化をとげ朝の明るい青空になっていったことで初めて自然の色の豊かさを知ると共に、人間がつくれる色は自然が持つ色の何分の一かにすぎないことを改めて思い知った。
自然には私の知らないいろんな色がまだまだたくさんあるのだと思うと、色々な植物の生命を布に移してみたくなった。でも無駄な殺生はしたくないので、とりあえず雑草として抜かれるセイタカアワダチソウやヨモギなど試してみたい。(今日はこっそり仕事場で、ほうれん草の茹で汁に布巾を入れて色を見てみた。前処理をしていないので、水で軽く洗ったら色は落ちたけど。)
↑追伸:定価1000円、古本屋で500円だったのが、amazonでは結構高い…
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Iさんの土地探しのお付き合いで、伊豆の戸田(へた)というところへ物件を見に行く。こっそり入ってお弁当を広げた小学校で、びわの木を剪定しているところを目ざとく見つけたMさん、昼食も早めに切り上げて頂きに行った。3人で車のトランクいっぱいびわの葉をもらった。教頭先生からは、また来年ももらいに来てください、と言われた。
私は乾燥させてびわの葉茶をつくろうと思っています。
IさんとMさんは、オーガニックコットン(ネル生地)をびわの葉で染めて生理用ナプキンを作って販売する予定です。
どこへ行ってもただでは帰らぬ3人でした。
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参農塾の田んぼの会でオリザネットの方々に来ていただいて生き物観察を行いました。
開始時刻の10時間際、となりの田んぼの農家さんとその仲間のような方々がいらしていて、参加してくださるのかと思いきや、皆それぞれマスクをし、そのうちの一人は田んぼの中に入って、なにやら噴射し始めました。タオルを口にし離れたのですが、オリザネットの方は逞しい!写真を撮り、農家さんのところへ話しに行きました。
消毒といもち病のための薬を散布しているとのこと。菖蒲園の中にあるから害虫がそこから多く飛んでくる、農薬をまいてもまたすぐ増えるから一ヵ月後にまたまく、ということです。
オリザネットの方が言うには、菖蒲と稲につく虫は異なるし、農薬をまいて、益虫であるクモは一年に一回しか生まれないけど、害虫は一年に3回も4回もシーズンがあるから、農薬をまいたことにより生き物が全滅し、害虫を食べるクモがいなくなったところに害虫がはびこる。また、葉に隠れている虫には効かない農薬だったり、他の害虫には効果が無くても、クモは薬に弱い。最近の農薬では、すぐに効果が無くても、不妊にさせる農薬などもあるそうです。不妊といえば蛍、水がきれいでカワニナや餌がいらっしゃっても、明かりによって交尾時に混乱が起きて子孫を残せないとの理由から、蛍が減ってしまうとのこと。
話はそれましたが、生き物観察は、ただ単に生き物を観察して終わりではなく、生き物と作物のかかわり、例えばこれだけの面積にウンカが何匹いた、というようなことを毎年記憶(記録)しておくと、作物被害の防除策を農家自身が練れるということ。今の農家さんはとりあえずまいとく方がほとんだとか。害虫がいるかいないか、害虫に対する正しい知識がないのに、薬をまくことは、風邪をひいていないのに風邪薬を飲むようなもの。害虫がいても、害虫を食べてくれるクモやカエルなどがたくさんいれば、すぐに薬に頼るのではなく、しばらく様子をみて判断するということができる。
北山公園の「トトロの郷で古代米を作る会」以外の田んぼは薬を一斉散布されました。
自給用の少ない面積の田んぼで、収量が減るといってもたかが知れているのになぜ農薬をまくのか、というと、農協がただでやってくれるからだそうです。そういう仕組みになっているのですね。
オリザネットの方は、ただ安易に無農薬、というのでは、農薬をまいている人からみて敷居を高くしてしまい、不可能と思ってしまいがちで垣根を作るだけだから、まずは自分達で自分達の田んぼを「診断」できる力を身につけるためにも、「生き物観察」をして欲しい、と言っていました。
散布の後は皆、のどがいがらっぽかったり、頭が痛くなったり立ちくらみがしたりと、なんらかの体の不調がありました。文ちゃん田んぼではちょっと畦にしゃがんで水の中を見ただけで、アメンボ、クモ、カエル、おたまじゃくし、ハエ、ハチなどたくさんの生き物がいてにぎやかなのに対し、となりの田んぼは死骸が水に浮いて、ほとんど生き物が見られませんでした。葉を巻いて中で生活する一文字せせりの幼虫とかがいたかな。
一日でいろんなことを知ることが出来た気がします。生き物の名前もちょっと覚えたし。
オリザネットではすでに田んぼで生き物観察をしていますが、今後は畑でも観察していきたいとは言っていました。
オリザネットの方はロマンとポリシーがあってとっても好きです。
ps.害虫害虫と連呼しましたが、あくまで稲の収穫において、収量を減らしてしまう昆虫を便宜上そう呼んでいました。害虫さんすみません。
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7/15~17
今年の4月に茨城県常陸太田で新規就農した友人のところへ縁農へ行く。萌えイズル緑!稲の緑が目にまぶしいばかりに輝いていました。総勢11人で、一緒に寝食働を共にした日々が終わり、高速を乗り、東京へ戻ると真っ先に目に付くのが灰色の地面。聳え立つビル。すでに心に幕をかけて見たくないものを見えないようにする。
翌日の朝に、早朝目覚めても、散歩したいと思う場所も無く、ケアしてあげられる存在のいない寂しさを感じる。常陸太田では、朝は待たれている感覚。自然か、緑か、必要とされている感覚。しなければならないことではなく、やりたいことがたくさんある感覚、またはたくさん見つけられると思える感覚。昨日蒔いた種はどうなったか、昨日巻きつけたつるはどうなったか、生き物の変化を見る楽しなのか、早く目が覚めてしまう。たくさんの生き物の中で生きるということはこういうことなのだろうか。
楽しい日々をありがとうございました。
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7/12・14
文ちゃん農園あしたば援農隊へ行く。といっても私一人。
炎天下の中、雑草を抜く。根っこごと。土はとてもふかふかしている。
人が耕さなくても、根っこが育ち動くことによって、1mmでも2mmでも動かしてくれれば、充分耕している意味になる。根っこの周りに微生物が集まり、一種の生態系を作る。土から上の部分を鎌で切れば、根っこはくさり、養分になりうる。ということで、私は根っこを残して、切った部分を土にマルチする方法が好きですが、アシタバは苗を植えたばかりか、小さいかわいらしい、1列に整列していない、というようなことから、鎌で切るのはアシタバまでも切ってしまいそう。農園主の指示に従い、根っこから抜きました。せっかく育ったのに、ごめんなさい。土の栄養になって下さい。
しかし、屋外での作業は気持ちがいい。
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楽しさおいしさ2倍増 家庭菜園の不耕起栽培―「根穴」と微生物を生かす (単行本(ソフトカバー))
水口 文夫 著
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